金水 敏 教授 KINSUI, Satoshi (Ph.D.)

 国語学:役割語・キャラクター言語の研究
   Japanese Linguistics; Study of Role Language and Character Language

 

研究についてみこと、よこと:

*役割語を拡張した「キャラクター言語」という概念を立てて、フィクションの話し言葉を広く分析する手法を開拓しようとしている。キャラクター言語は、ステレオタイプとしての役割語よりも微細で個別的な話し方の特徴をも捉えることをめざし、また物語の構造におけるキャラクターの機能の解明にも関わらせようとしている。この観点は翻訳論にも応用可能であり、留学生とともに「村上春樹翻訳調査プロジェクト」を立ち上げ、ケーススタディを積み上げつつある。

*村上春樹の小説作品における発話のスピーチ・スタイルと翻訳との関係については、プロジェクト報告書を2018〜2020年と3刊発行し、大阪大学リポジトリにおいて公開している。また、ジブリアニメや宝塚歌劇についても同様の研究を続行している。

 

*役割語についてのウェブマガジン『〈役割語〉トークライブ!』が完結した。こちらのリンクからご参照ください。
また、役割語研究の最新動向については、ブログを随時更新しているので、→こちらも参照されたい。
 

*フィクションにおけるキャラクターと発話の関係について、研究を継続している。村上春樹の小説作品における発話のスピーチ・スタイルと翻訳との関係については、プロジェクト報告書を2018年、2019年と発行し、大阪大学リポジトリにおいて公開しており、今年度より科研費を取得したので、これに基づいて続刊を計画中である。また、ジブリアニメや宝塚歌劇についても同様の研究を続行している。

三谷 研爾 教授 MITANI, Kenji (Ph.D.)

 ドイツ、オーストリア文学および文化研究
    German Literature, Austrian Literature; Study on Modernism in Central Europe

 

研究についてみこと、よこと:

*2019年4月から7月まで、ハイデルベルク大学日本学科で授業を二コマ担当しました。テーマは「中島敦」。日本でのカフカ受容史の最初のページを飾る作家ですが、むしろ「植民地経験」「物語/歴史」「無文字社会への憧憬」等の観点からの授業です。教室では日本語ベース、ですが毎回資料に中島からの引用文のドイツ語訳を載せるので、その準備がたいへんでもあり、楽しくもありました。学生たちと『山月記』新ドイツ語訳を作成する演習も同様です。新しい共同研究の話が持ち上がったところで帰国、今までと違った風景が広がりそうです。

*イタリア東端の海港都市トリエステ。イストリア半島の根もとを扼するこの街は、ハプスブルク帝国の海の窓口であると同時に、イタリア人とスロヴェニア人の民族対立の舞台でもあるという、典型的な中欧の多民族都市でした。最近、トリエステのそうした社会的・文化的環境に惹かれるうち、関係する文献の小さな山が卓上にできました。いまからイタリア語に取り組むのは無謀なので、ドイツ語経由でアプローチして、視野を広げることを夢みています。

 

*思いがけず家人が病気になり、なにごとによらず停頓気味の日々です。学生・同僚の足を引っ張ることにならないよう、与えられた仕事をこなしていくほかありません。20世紀の都市経験をたずねてプラハからベルリンに向かう作業は、はるか先になりそうです。

 

*2012年秋から半期、サバティカルをとることができ、まとめてか5月あまりベルリンですごしました。たいへん日照時間のすくない厳冬で、あまり出歩かず図書館通いの日々でしたが、せっかくなので足を伸ばしてイスタンブールへ。ドイツはトルコ系市民が多いので、その本国の姿を自分の眼で確かめたいと考えたからです。あかあかと照らされる冬の大バザールの路地裏を幾度も通り抜けながら痛感したのは、古代からの遠隔地交易とは宝飾品、香辛料、そしてなにより布地の交換だったこと。また、こうしたモノの歴史と言葉によるテクストの遭遇が、私の関心を惹きつづけてきた主題だということにも、あらためて思い至ったしだいです。

石割 隆喜 教授 ISHIWARI, Takayoshi (Ph.D.)

 アメリカ文学    American Literature

 

研究についてみこと、よこと:

映画の面白さがようやくわかってきたようだ。映画について書かれたものも少しは読んできたが、「映画は人間の統覚の重大な変化に対応している」などとあっ たりすると、なかなかついていけなかった。当たり前のように接してきた映画がそれほど仰々しく語られていることに違和感を拭えなかったのだ。だがミメーシ スという問題に手を出した途端、映画という鏡がどのように現実を映し出しているのかが気になり始めたという次第。

*去年から一年以上かかりっきりであったピンチョン関係のいくつかの仕事がようやく一段落した。アメリカ学会英文ジャーナルに執筆した『重力の虹』論が無事活字になり、彩流社には「現代作家ガイド」シリーズ『トマス・ピンチョン』のための原稿を提出した。後者の入門書では論考一つと『競売ナンバー49の叫び』『重力の虹』のあらすじ、二つのコラムを担当している。これで少し落ち着けるかと思いきや、秋にはピンチョンの新作が予定されているのであった。

*今年はワールドカップの年だった。もちろんテレビで観戦するだけだったのだが、とにかく充実した一月間だった。かなりの数の試合を観て一番に感じたのは、多様性だった。普段、決まったチームばかりを追っていると、知らず知らずのうちに視野が狭くなりがちである(研究でも同じだろう)。ブラジルから届けられる、バラエティー溢れるサッカーの「今」を見て、目が覚めた。頭の中の風通しが少し良くなり、晴れやかな気分になった。

 

*昨年の本欄では、ロシアW杯にアメリカが不在であったことに触れた。今年は女子W杯がフランスで開催されたが、優勝国はアメリカだった。この落差だけでも十分に興味深いが、さらに考えさせられたのはピッチ外での「盛り上がり」だった。「(男女の)イコール・ペイ」「(優勝しても)ホワイトハウスには行かない」。サッカーがジェンダーや国家と否応なくつながっていることを、アメリカ女子代表選手たちに改めて教えられた。

鈴木 暁世 准教授 SUZUKI, Akiyo (Ph.D.)

 近代日本文学、比較文学   Modern Japanese Literature, Comparative Literature

 

研究についてみこと、よこと: 

*日本近代文学の作品を、ことばによる芸術として捉え、当時の社会や文化との関わりを見すえながら、その魅力を探っています。近代日本の文学者たちは、海外の文学を貪欲に吸収して糧としながら、その影響力の大きさに抗い、独自の文学を模索していきます。その一方で、彼らの作品は外国語に翻訳され、海外に影響を与えていきます。この、異言語、異文化間のダイナミックな相互交渉をつきとめ、日本近代文学の姿をいきいきと捉えること――。この、比較文学的な観点にも、私は可能性を見出しています。

*明治から昭和にかけての日本では、芥川龍之介、菊池寛、西條八十らをはじめとする文学者の間でのアイルランド文学の「流行」という興味深い現象が起こりました。アイルランドでは19世紀後半から20世紀にかけて自治・独立運動が高まると共に政治的なうねりと共にアイルランド文学復興運動が起こりました。強大な文化的影響力を持つ存在との緊張関係の中で、独自の文学・芸術・文化のありようを模索するという姿勢において、W. B. イェイツやJ. M. シングらのアイルランド文学は国境や言語、文化圏を越えて注目を集めたと言えます。


*そして興味深いことに、イェイツたちもまた、日本の能に心を動かされ、戯曲『鷹の井戸』など複数の戯曲を書きあげました。さらに、菊池寛の戯曲『屋上の狂人』を高く評価して、アイルランドで上演するなど、相互に刺激を与えあう現象が起こったのです。日本と世界の文学者たちの創作の糧となった、想像力の熱い奔流と交感――。それらがなぜ生み出されたのかを問うことは、世界文学の潮流の中における《日本近代文学の姿とその魅力》を活写することにつながるでしょう。

*文学作品をじっくりと読むこと。そして、日本のみならず海外における現地調査によって新資料を発掘すること。こういった地道な研究によって得られた新たな知見に基づいて、文学的想像力の源泉を問うこと。それが、私の研究の大きな原動力です。日本近代文学研究のフィールドは、世界へと広がっているのです。